伝説のプロレスラー、ザ・デストロイヤー選手が死去されました。
享年88歳でした。
ザ・デストロイヤー 死去 ジャイアント馬場のライバルの名レスラー
息子のカート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで
「デストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤーが今日正午すぎに亡くなりました。私は後で分かち合うことになるでしょうが、この悲しい知らせを伝えたいと思いました」
と報告しました。
デストロイヤーさんが、亡くなったらしい(ToT)
入社した年、新人の私に、気さくに声をかけて頂き、感動したのを覚えてる…。
あのデストロイヤーが、普通に社内を歩いてて、「凄い会社だなぁ」とも思ったあの頃。
私がプロレスの仕事を始めた頃の、良い思い出です。合掌。 pic.twitter.com/JAgYx4hyyx
— おかぽん2号 父さんと頑張る! (@okapon2) 2019年3月7日
日本では「白覆面の魔王」の異名を持つ覆面レスラーとして、
力道山やジャイアント馬場と戦ったライバルとして人気を博していました。
足4の字固めを決める姿が印象深いレジェンドレスラーでした。
テレビタレントとしても活躍していて、
近年でも、日本に来日してバラエティー番組に出演するなどしていました。
昨日はライガー引退に加えてデストロイヤーが亡くなっていたのか…
さすがに噂のチャンネルは見れてないけど、全日本プロレスの夏巡業には来てて、いつも笑顔だったな。力道山と対戦したレスラーもこれでほとんど亡くなってしまったのかな…時代は流れる。ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/s0Y8lKCJe1— 尾崎智宏 (@force0308) 2019年3月7日
ザ・デストロイヤー 死去についてネットの反応
ネットの声を集めてみました

88歳は大往生。
お疲れ様でした。
昭和も遠くなりますね。

噂のチャンネルを見ていた幼児期には
リング上の姿を見た事がなく
面白いレスラーなんだろうなと思っていたら
実はヒールの要素も持った「4の字固め」の代名詞だったと知ったのは高校生くらい
プロレスを知らなくても昭和40年代生まれならデストロイヤーを知らない人は少ないと思う
ご冥福をお祈りいたします

初来日の印象があまりにも強烈だったし
馬場との幾多の熱戦は毎度 楽しみだった。
力が落ちてからは日本組に参戦も,お笑いキャラとしても ,TVでは欠かせない存在感をハッキとは言い過ぎかな?
晩年も日本関係者には決して素顔をさらさなかったとも聞いているが,これで一つの時代は終わったのかな。

強かった上に、バラエティにも出てマスクマンを
プロレスに興味のない日本のお茶の間にまで浸透させた偉人
ご冥福をお祈りいたします

昭和の名外国人レスラーであり、名タレントでもあった。ご冥福を祈ります。

子供の頃、地方巡業で地元に来たときに、偶然駅でタクシーに乗るところを見かけた事があります。
小学生の僕が、その大きい身体にびっくりして固まり彼を凝視していると、マスクをしていても分かる太陽のような笑顔を向けてくれたのが印象に残っています。

昭和のスター。
寂しいが、レスラーの88歳は立派。
ありがとう、デストロイヤー!!

昭和生まれの人なら誰でも知っている、あの“4の字固め”を日本に広めたのは、デストロイヤーさんです。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

先月の馬場さん追善興行はメッセージありましたね。
最期に伝えることができてよかったと思います。

昔、地方にプロレス興行が来る時はデストロイヤー&ブッチャー必須だったし、流血モノのポスターがバスの待合所などに貼ってあり、子供だった自分は妙にワクワクしたものだ。
今はそんなポスターも貼れないんだろうが、昭和も遠くなりにけり、だな。

外国人ヒールが加わってこそ、プロレスの面白さが上がった。
観客のこともよく判った上で、興業を成功させていたと思う。
新聞のテレビ番組表に名前が載っていると、ワクワクしたな。

4の字固め真似した。
マスク越しに見える青い目が優しく見えてね…。昭和の灯りが又1つ消えました。こういう時だけ時間が確実に進んでいると実感させられます。ご冥福をお祈り致します。
ザ・デストロイヤー 死去の詳細
詳しい記事はこちら
力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説のプロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが亡くなったと7日(日本時間8日)、複数の米有力メディアが報じた。享年88歳。
元プロレスラーの息子カート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで報告したもので「デストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤーが今日正午すぎに亡くなりました。私は後で分かち合うことになるでしょうが、この悲しい知らせを伝えたいと思いました」とつづった。
米バファロー出身のデストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日本プロレスに初来日し、力道山と対戦した。以後、ジャイアント馬場のライバルとして大きな注目を集め、アントニオ猪木とも対戦している。73~79年からは全日本プロレスの所属選手として活躍。キャリアは約40年、日米で8000試合以上におよんでいる。
また日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にレギュラーで登場し、和田アキ子、徳光和夫との掛け合いも人気を集めた。93年に現役を引退。たびたび来日し、17年には外国人叙勲者として旭日双光章を受章していた。
引用元
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190308-03080039-nksports-fight
ザ・デストロイヤー 死去のまとめ
ご冥福をお祈りいたします