内田裕也さん 死去 ロック界のカリスマ樹木希林さんの後を追う

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ロック界のカリスマ内田裕也さんが死去されました。

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内田裕也さん 死去 ロック界のカリスマ樹木希林さんの後を追う

内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さん

17日、東京都内で死去されました。

79歳でした。

昨年に妻での樹木希林さんに先立たれ、

喪失感が消えない中での死となりました。

 

 

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#内田裕也 #他界 #神戸出身

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希林さんとは73年にスピード結婚するも僅か1年半で別居してしまいます。

43年半もの別居生活はになりますが、最後まで離婚にはならなかったですね。

2人の長女の也哉子さんが離婚しない理由を聞いた際に希林さんは

「彼にはひとかけらの純なものがあるから」

と話していたといいます

一方の裕也さんも

「一生頭が上がらない」

と話していたそうです。

2人にとってお互いは特別で最愛の存在だったのでしょうね。

周りにはわからない夫婦の絆があったのだと思います。

 

 

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R.I.P 内田裕也 ロケンロール♪ #内田裕也

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内田裕也 死去についてネットの反応

ネットの声を集めてみました

希林さんの後を追うように逝かれたのですね。ご冥福をお祈りいたします。

 

まさに、後を追うようにという言葉がふさわしい。
何十年も別居して、傍目には奇妙な夫婦でしたが、他人にはわからない絆はあったのでしょうね。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

すごいインパクトのある方ですごかったです。
ご冥福祈ります。

 

長年の別居でも夫婦にしかわからない絆があるのだと改めて感じました。
娘さんは1年の間にご両親が亡くなられて心中お察しします。
マスコミの方は、ご遺族への取材など控えてほしいと切に思います。

 

樹木希林さんが、裕也さんには1円も遺産は残さない。
直ぐに相続税を払う事になるからと、言って居たらしい。
良い悪いは別として、先見の明は有りましたね。
異質な夫婦で有り、娘さんには変わった両親だったでしょうが、天国では仲良く暮らして欲しい。

 

希林さんが裕也さんと会えて喜んでいらっしゃるかもと不謹慎にも思ってしまった。お二人は本当に深いご夫婦だったんだなと思った。

 

周りが思っていた以上に御夫婦だったのかも。ご冥福をお祈りします。

 

ご冥福をお祈りいたします。
平成が終わるこの年に、去っていかれたのか。
思い起こすどの裕也さんも、ロックでちょっと面白くて人気者でしたね。
お婿さんのもっくんが自宅前で暴れる裕也さんを確保した話は、
何度聞いても笑顔を誘う。

也哉子さんにとっては、一年もたたずしてご両親を亡くされてお気の毒だ。
ひとつの時代が終わった、そんな感じがして寂しいね。

 

 

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#内田裕也 #他界 #2019年3月17日

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内田裕也 死去の詳細

詳しい記事はこちら

ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日、東京都内で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。都知事選出馬など常に話題を提供し続けたロック界のカリスマだった。

希林さんの死から半年、波乱に満ちた“ロケンロール人生”に幕が引かれた。年明けから体調が悪化し、17日に天に召された。1995年に俳優の本木雅弘(53)と結婚した長女の也哉子(43)らが裕也さんの遺体に寄り添っていた。

晩年は病気やケガと闘う日々が続いた。16年11月に英国ロンドンのホテルの浴室で転倒し、尾てい骨を強打。17年夏には転倒して右足甲を骨折。さらに同11月に脱水症状を起こして緊急入院するなど、満身創痍(そうい)だった。

完全復帰を目指してリハビリに励んできたが、日増しに体力は低下。自身が主催する恒例の年越しライブ「ニューイヤーロックフェスティバル」にも17~18年からは車椅子で出演。執念で立ち上がり、熱唱する状況が続いていた。12年から毎年欠かさず参列していた3月11日の東日本大震災の追悼式も今年は欠席していた。

エルビス・プレスリーに憧れて高校を中退し、1957年にバンドボーイとして音楽活動をスタートさせた。幾つかのバンドを渡り歩き、66年のビートルズ日本公演では尾藤イサオ(75)らとの特別編成のバンドで前座を務めた。

同年、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」で活動していた沢田研二(70)らをスカウト。これが後のザ・タイガースとなった。67年には麻生レミをボーカルに据えて結成したフラワーズにジョー山中さんらが参加し、フラワー・トラベリン・バンドとして再編成。アルバムがカナダチャートで8位を記録するなど海外でも活躍し、邦楽ロックの礎を築いた。

70年代からは映画俳優としても活躍。崔洋一監督の「十階のモスキート」(83年)、自ら脚本を手掛けた滝田洋二郎監督の「コミック雑誌なんかいらない!」(86年)など話題作に主演した。  私生活では故かまやつひろしさんの紹介で出会った希林(当時悠木千帆)さんと73年10月にスピード結婚。裕也さんの家庭内暴力などもあり、1年半で別居生活に入った。81年には一方的に離婚届を提出。希林さんが訴訟を起こし離婚成立を阻止する一幕もあった。

別居生活は43年半にも及び、裕也さんは大麻取締法違反(77年)、銃刀法違反(83年)、そして強要未遂と住居侵入容疑(11年)と3度の逮捕歴を重ねた。それでも離婚には踏み切らなかった。

2人にとってお互いは特別で最愛の存在だった。長女の也哉子が離婚しない理由を聞いた際に希林さんは「彼にはひとかけらの純なものがあるから」とし、一方の裕也さんも「一生頭が上がらない」と話していた。

91年には東京都知事選に出馬。政見放送で「パワー・トゥ・ザ・ピープル」と「コミック雑誌なんかいらない!」を歌うなど自由奔放な人生を貫き「シェキナベイベー」の名言も残した。

引用元

表示できません - Yahoo!ニュース

 

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内田裕也 死去のまとめ

ご冥福をお祈りいたします。

 

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