元モエヤン 久保いろは 転身が注目されていますね。
元モエヤンの久保いろはさんが
現在は転身していた事が話題になっています。
どういうことなのか詳しく調べてみたいと思います。
元モエヤン 久保いろは 転身がヤバい!解散の理由は?実は元歌手?
かつて「ヌーブラ、ヤッホー!」
で一世を風靡した女性コンビ・モエヤン
このネタで一躍有名になったのですが
メーカーからクレームが入ったため、
ネタが出来なくなったのだそうです。
その後はあまり見かけなくなってしまいましたね
今ではモエヤンのコンビは解散しているらしく
赤いタイツの池辺愛さんはFM「NACK5」のパーソナリティーをしているという事です。
そして青タイツの久保いろはさんの現在は
ボイストレーナーに転身しているそうです
「ボイストレーナーを始めたのは2014年12月です。講師名は『歌月』で、マンツーマンのパーソナルトレーニングをメインに、コーラス、仕事に役立つビジネスボイストレーニングなど、声の悩みを解決しています」
なんとボイストレーナーになっていたとは
実は久保いろはさんはモエヤンの前は歌手だったそうなのです。
2000年12月、久保沙耶香の芸名で、プレイステーション2のゲーム「7BLADES」のエンディング曲に採用された「LOVE WILL SEE US THROUGH」でデビューした。
歌うまに出演した時のモエヤンの動画
モエヤンのリズムネタ。
ネタの内容にしては歌が上手すぎましたし
もる意味納得ですね。
モエヤン解散の理由は?
「ヌーブラ、ヤッホー!」の
ネタをメーカーのクレームで出来なくなってしまったモエヤン
その後に、解散した理由はなんなのでしょうか?
久保いろはさんによると
ヌーブラメーカーから、「用途が違う」とクレームが入ったため、やむなく封印。ヌーブラなしのコントやリズム芸で再スタートを切り、舞台や音楽活動で活躍した。
「そんな時に夫と知り合い、二足のわらじは難しいと思い」13年に結婚、寿引退となった。
まさかの寿引退だったとは
まあ、確かに「ヌーブラ、ヤッホー!」のネタは封印したとしても
あの様なネタを旦那がいては中々出来ないですよね。
元モエヤン 久保いろは 転身の詳細
詳しい記事はこちら
【あの人は今こうしている】
久保いろはさん(38歳・元お笑いコンビ「モエヤン」 )
テツandトモ、ピコ太郎、ブルゾンちえみ……。いずれもリズム芸でブレークした芸人だが、11、12年ほど前、「ヌーブラ、ヤッホー!」で一世を風靡した女性コンビがいた。「モエヤン」だ。解散したのは6年前の12月。赤いタイツの池辺愛さんはFM「NACK5」のパーソナリティーだが、青い方の久保いろはさん(38)は……?
「まず、発声練習からしましょう」
都内大田区。東急多摩川線・下丸子駅そばのスタジオへ行くと、久保さんがボイストレーニングの真っ最中だった。
「体の力を抜いて、リラックスしてくださいね」
キーボードで音階を合わせて久保さんも発声し、パターンを変えながらチェックしていく。
「ボイストレーナーを始めたのは2014年12月です。講師名は『歌月』で、マンツーマンのパーソナルトレーニングをメインに、コーラス、仕事に役立つビジネスボイストレーニングなど、声の悩みを解決しています」
生徒は、歌好きをはじめ、プロ歌手やナレーターを目指す学生、ミュージカル女優、もちろんビジネスマンもいる。
「ビジネスですと、大事なのは『相手の笑顔を引き出す話し方』。緊張する場面、シリアスになる瞬間もあると思いますが、やはり“笑い”は大切。相手の心を開くには、どのような話し方をすればいいのかを、生徒さんと考えながら進めていきます」
中には資料を持参してプレゼンテーションしたり、スマートフォンで1分、3分と尺を決めて動画を撮り、改善する人も。
「ある男性デザイナーさんは当初、おとなしい印象でした。でも2年たった今、とても明るく楽しい雰囲気に変わりました。ほかにも、『商談でスムーズに話せた!』『次の仕事につながった!』と言っていただくと、うれしくて、やりがいを感じますね」
さて、1981年2月、大阪・堺市に生まれた久保さんは、幼い頃からマイケル・ジャクソンやモータウンサウンドが好きで、歌手になるのが夢だった。そして98年、アジアボーカリストオーディションに合格したことをきっかけに上京。2000年12月、久保沙耶香の芸名で、プレイステーション2のゲーム「7BLADES」のエンディング曲に採用された「LOVE WILL SEE US THROUGH」でデビューした。
その後、ミュージカル集団「東京メッツ」に入団。そこで知り合ったのが、「モエヤン」の相方である池辺愛さんだった。
「愛ちゃんは大阪出身なので、ノリも同じでウマが合ったんです。で、『お笑い、一緒にやらへん?』って誘われて、05年にコンビを組みました」
だが、最初は鳴かず飛ばず。下北沢で「お笑い流し」と称するゲリラライブをしながら、ネタのブラッシュアップに励んだが、オーディションはことごとく不合格だった。
■仕事が殺到した直後にメーカーからクレーム
「それでもメゲず、100本以上ネタを作って、バラエティー番組の担当者に送っていました。そのひとつが“ヌーブラ、ヤッホー!”。本命のネタは別だったのに、こっちが採用されたんです」
ミュージカルの素養がある2人だけに、本格的なハーモニーと振り付けで差別化し、インパクトのある青と赤のタイツ姿。胸にヌーブラを貼り付けて歌って踊るスタイルは、08年正月の「笑っていいとも!増刊号」特番、ネタ見せ番組「爆笑レッドカーペット」で披露されるや、たちまち注目を浴びた。
「すぐにテレビにライブ、イベントなどお仕事がどんどん入り、情報バラエティー『ラジかるッ』(日本テレビ系)の月曜レギュラーにもなりました」
ところが、7カ月ほどでヌーブラメーカーから、「用途が違う」とクレームが入ったため、やむなく封印。ヌーブラなしのコントやリズム芸で再スタートを切り、舞台や音楽活動で活躍した。
「そんな時に夫と知り合い、二足のわらじは難しいと思い」13年に結婚、寿引退となった。
相方の池辺さんは15年に結婚して、17年2月に女児を出産した。
「そうしたら1年後の同じ日、今度は私が一人娘を出産したんです。愛ちゃんとは今も仲良しですが、『将来、娘たちがコンビを組んで何かするかもしれないね』って言ってるんです。ホント、不思議な縁ですよね」
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/
元モエヤン 久保いろは 転身についてネットの反応
ネットの声を集めてみました

世間は長くやって成功することをよしとしがちだけど、
やってみて見たこと無い景色をみて、納得して引退し、
それを生かした人生を歩めるなら、それは素敵な人生だと思うわ。
殆どの人はやりたいことを「やらないまま」人生を終える。

すぐにクレーム入れる会社と「どうぞやって下さい」
と言ってくれる会社、その後のイメージが違いますね。
「やほー」や「ケロッグ」、電波少年で神対応した
企業やタレントなどCM効果は計り知れない

企業にも「それ違います」と言う権利があります。でもタイミングや言い方間違えたら風当たり強くなるからね、難しいですよね。
吉川晃司のシンバルキックも、シンバルメーカーから「シンバルは蹴る物ではないんです」とクレームあったそうですが「これでも頑張ってやってるんです…」と言ったら応援してくれるようになったとか(本人談)音楽ライブでボコボコに破壊される楽器や機材もあるけど、メーカーはクレームどころか物を提供する事もある。プロ野球のビールかけもね。
基準がそれぞれ違うのだろう。

確かにあのネタには全く必要がないと言っても良いくらいの美声だった。

一世を風靡・・・まではいかないと思う
でもみんなが知ってましたよね
メーカーからのクレームって用途が違と言われてヌーブラという名前を使わなくなったんでしたっけ?
企業によって対応はいろいろですね

ヌーブラ確かに用途は違うかもしれないけど(そりゃそうだ(笑)、
壊したり破いたり荒々しく使ってた記憶はないので
うまくいけば売り上げをあげられるかも、とか
思わなかったのかな~

東京メッツ時代、久保っちは断トツで歌が上手かった。だけど、芸の世界で売れるというのは、何がきっかけになるか本当に分からない。
モエヤンでTVによく出ていた頃は、嬉しいけど何だか複雑な気持ちでした。
ご結婚で引退されたと知って、残念だなと思っていましたが、近況を知れてありがたいです。

相方は、NACK5のDJをしていますね。
もうすっかり板に付いて、一定の人気も得ている様子です。
結果論ですが、芸人で生き永らえるより、名前を知られた立場で転職できたのは良かったのではないでしょうか!?
元モエヤン 久保いろは 転身のまとめ
以上、元モエヤン 久保いろは 転身について調べてみました。
コメント