尾畠春夫 当時語るが注目されていますね。
尾畠春夫さんがスーパーボランティアとして
脚光を浴びた当時語る話が話題になっています。
どういうことなのか詳しく調べてみたいと思います。
尾畠春夫 当時語る詳細がヤバい!ストレスを感じていた
2018年、行方不明となった2歳の男の子を無事救助し、
スーパーボランティアそして一躍時の人となった尾畠春夫さん。
さまざまなボランティア活動に参加する他
東京~大分約1100kmを徒歩で帰宅する事に挑戦という事も話題になっていました。
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スーパーボランティアそして一躍時の人となった当時語る尾畠春夫さんは
想定外でしたね。報道関係の方、雑誌社の方、ラジオ局の方、いろんな方に、私はどうぞいいですよって言ってたんだけど、しなきゃよかったな。会わなきゃよかった人に、いっぱい会って。自分で掘った墓穴だけどね
スーパーボランティア。あれがなかったら、最高にいい年だったな。あんなにノイローゼになることもなかっただろうし。もし万が一、次に同じようなことがあっても、今回みたいな対応はしないと思う。子どもたちにももう心配かけたくないし…
様々なメディアに取り上げられて
尾畠春夫さんは「いいですよ」と言ってしまった事に公開しているのだそうです。
確かにあの当時のマスコミの取材はちょっとやり過ぎでしたよね。
尾畠春夫 当時語る詳細
東京~大分約1100kmを徒歩での帰宅も人が集まり過ぎて断念せざる得なかったといいます。
旅のテーマは世界の子どもたちの幸福を願うことだったそうで
旅の道中の子どもたちやその親との交流を特に大切にしたかったのだそうです。
東京を出発して1カ月。尾畠さんは静岡県内を歩いていた。沿道には、ますます多くの人が集まるようになっていた。応援の言葉をかける人、差し入れを渡す人、記念撮影をする人、握手を求める人…。
「昨日みたいに24時間1ミリも歩けなかったのは、練馬を出てから初めてだよ。朝飯も食えない、昼飯も食えない。一番最後の人は夜の10時半、最初の人は朝の2時半に来た」(尾畠さん)
引いているのは、いつのまにかリヤカーに。リヤカーを押すボランティアまで現れていた。
このリヤカーは、出発の1週間後に神奈川県内へ尾畠さんの娘家族が届けてくれたもの。増え続ける差し入れを見かねてのプレゼントだった。はるばる大分から車で駆けつけてくれたのだ。
「今まで自分の人生で、私は途中で投げ出したことは一回もない」と話していた尾畠さん。旅を断念したやむを得ない事情とは、交通事故を防ぐためだった。
静岡県内では人が殺到し、警察が駆けつけることもあった。旅をやめる決断をした日も、沿道は大混雑。親の目を離れた子どもが道路に飛び出しそうになるのを見て、断念することを決めた。
娘夫婦と連絡を取りたいと思っていたちょうどそのとき、次の交差点で娘夫婦と再会。タイミングよく足を運んでくれていたのだ。尾畠さんは、旅を中断することを説明し、大分まで連れ帰ってもらったという。
「皆さんからたくさん励ましの言葉をいただいたのに、途中でやめてしまって、逃げ帰ったみたいになってしまった。でも、私は受けた恩は忘れないから、必ず何かの形で恩返しをさせてもらいたいなと思っています」(尾畠さん)
尾畠さんは、応援してくれた人たちへのメッセージを残すと、取材陣を避けるようにまた自宅を離れた。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/
マスコミなどのメディアは時に
取材のためなら何をしても許されると感じる事があります。
自分たちの取材を優先するばかり
尾畠春夫さんのやりたかった事を邪魔していた事に
何故気がつかないのでしょうね?
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尾畠春夫 当時語るについてネットの反応
ネットの声を集めてみました

マスコミが被災者の心情無視して尾畠さんを追っかけ回した結果、被災者に迷惑かけるから迷惑かかるからと尾畠さんがボランティアしずらくなっちゃったんだよね。
当のマスコミは知ったこっちゃないって顔してるが。

路傍の花は路傍で咲くからこそ美しい
路傍の花をちぎって花瓶に植えてしまった。
まさしく我々がしたことは過ちだったのだと思います。
我々がお役に立てるのは、今の活動ができなくなったときに手を貸すことと、活動先に支援の手を伸ばすことなのだと反省させられました。
これからもひっそりと活躍してください。
ご健康とご多幸をお祈りします

静岡県内を通っておられる間、県内の某テレビ局が毎日のように夕方のローカル番組で追っかけていた。国一沿いにある局の前を通ったときはわざわざ出迎えまでしていた。今どこそこにいますと言わなくても、映像が流れればどこにいるかなんて特定はすぐできる。そんなことをすればどうなるかなんて分かりきっているのに、結果、県内で旅を断念されていた。その責任なぞかんじていないのだろう、年末の特番で追っかけていたことを嬉しそうに放送していた。テレビ局なんて最低だと思いました。

本当に立派な方ですね。
頭が下がります。
小さな事に悩む自分が恥ずかしくなります。
お身体だけは本当に気を付けてください。

確かに世間が祭り上げるので、気の毒でならなかった。
どこかで災害があると、『きっと、小畠さんが現地に駆けつけてくれるだろう。』とか言う、自分は何もしない無責任、非常識な奴がよくいたからな。

我が家には尾畠さんの写真と色紙が飾ってあります。
豪雨災害で被災した時近くにボランティアに来てくださった尾畠さん。
当時精神的にやられていたうちの家内は尾畠さんに癒され元気を取り戻しました。
本当に仏様のような素晴らしい方でした。
なかなかできないことだけど尾畠さんのしておられることはとても尊いです。
ありがとうございます。
感謝しきれません。
これからもずっとお元気でお過ごし下さい。

齢80になるのか…
この人ほどもっとお元気で長生きしてほしいと思った人は他にいない
できれば、同じ志しの方がおられれば
後継者になっていただきたい
もちろん、小畠さんが認める素晴らしい方がおられればですが……

尾畠さんへの報道はいつも違和感を覚えていました、カメラ撮ったり追っかけたり。
尾畠さんが一番喜ぶ事は皆さんが身の回りの人を助ける行動を始める事だと思います。
差し入れしてくれるくらいなら、近所で困ってる人に渡してくださいと。
長年同じくボランティアをしている立場からキツく書いてしまうと、ボランティアの方を応援している自分に陶酔しているだけではないかと。
尾畠春夫 当時語るのまとめ
以上、尾畠春夫 当時語るについて調べてみました。
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