シン・エヴァンゲリオン劇場版はつまらない?面白い?内容を思考

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シン・エヴァンゲリオン劇場版 アニメ・マンガ・ラノベ
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今年の3月8日に劇場公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が早くもAmazonプライム・ビデオで配信される様になりました。前作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の公開からはや9年。待ちに待っていたところに、更にコロナの影響で延期され漸く公開されたシン・エヴァンゲリオン

新劇場版シリーズの最終作でもあり、エヴァンゲリオンシリーズの完結作でもある今作品。映画館で一度見て、Amazonプライム・ビデオで改めて見直しました。

なおAmazonで配信されるのは細かな修正が施された「EVANGELION:3.0+1.01」公開初期に映画館で見た「EVANGELION:3.0+1.0」から映像のカット単位の細かな修正や差し替えを行った新バージョンと言う事です。(バージョンの違いはさっぱりわかりませんでした。シンエヴァは公開初期に1度見たのみなので、もう何ヶ月も前の話。直ぐに見比べて見ないと分からないものですね。)

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シン・エヴァンゲリオン劇場版はつまらない?

シン・エヴァンゲリオン劇場版には映画単体とエヴァンゲリオンシリーズの最終作として二つの見方があると思います。

はっきりと言ってしまいますが、その二つの見方どちらとも面白くないと思えてしまいました。

最初に映画館で見て感じたのは、これでエヴァが終わってしまうという寂しさは自分でも驚くほど全く無く、モヤモヤした気持ちでした。そしてAmazonで配信されて改めて見直しました感想は、シン・エヴァンゲリオン劇場版は面白くないという結論に達しました。

ここで矛盾する事も言いますが、作品としては良く纏まった終わり方でもあり、一つの終わりだと思えばありだとも思っています。ただ、想像を超えるものは無く平凡な終わりでもあったと…

エヴァンゲリオンシリーズの最終作として

エヴァンゲリオンはTVシリーズを放送当時から見ていました。いまや伝説となった最終回は正直言ってガッカリしました。その後、旧劇場版も2作とも映画館に見に行きました。TVシリーズの24、25話となる真の最終回「Air/まごころを、君に」この映画を見た後も、モヤモヤした気持ちになった事を覚えています。なんだかスッキリしないと言うか、納得出来る終わり方ではありませんでした。

そんな中で始まったリメイク作品である「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」この新劇場版でエヴァに対してモヤモヤしている気持ちが解消されるスッキリした終わりが見れるのではないかと勝手に期待していました。

TVシリーズ通りの予定調和だった「序」「破」

そして「Q」

「Q」は想像を遥かに超えた内容・展開でそれぞエヴァといえる作品にして次の最終作が期待できる素晴らしい映画でした。今までのエヴァンゲリオンシリーズの完結作、「Q」を超えるであろう「シン・エヴァンゲリオン劇場版」期待しないわけにはいきません。「Q」から約9年という年月もその期待値に拍車をかけます。

結果…期待値を上げ過ぎたのでしょうか?

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映画単体の一つの作品として

エヴァンゲリオンシリーズの最終作としてでは無く、エヴァンゲリオンの一つの映画としてではどうでしょうか?先にも書きましたがやはり面白くはなかったです。

今作のメインで盛り上がったところは「パリ市街戦」ではないでしょうか。ここで期待値を上げ次で盛り上がるところなのでしょうが、他に盛り上がるところはありませんでした。

「第3村」のあたりは多少驚きはしましたが想像を超えてはいなく、「Q」の14年後という想像をはるかに超えた展開に比べてしまうとみおとりしてしまいました。最初の「パリ市街戦」とても全て「Q」の「US作戦」「ヴンダー発信」「カヲルとの連弾」「セントラルドグマ」に勝る場面はありませんでした。最後までドキドキもワクワクする事もなく淡々と物語が進行していっただけでした。

言ってしまえば、「Q」を超えることが出来なかった「シン・エヴァンゲリオン」

おそらくは、初号機と第13号機の戦いが見せ場であったはずだと思うのですが、シンジの過去の記憶が再現されているのだという、第3新東京市、ミサトのマンション、レイの部屋が撮影用セットの書き割り。なんか興ざめしてしまいました。書き割りにする必要がなぜあったのでしょうか?

 

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シン・エヴァンゲリオン劇場版の思考(ネタバレ)

ここまでつまらない理由を期待を越えなかったからと書いてきましたが、ここからは内容に詳しく触れていこうと思います。必然的にネタバレが生じます。

式波・アスカ・ラングレー(シンジに怒っていた理由)

アスカはTV・旧劇場版から新劇場版になるにあたって「惣流・アスカ・ラングレー」から「式波・アスカ・ラングレー」に代わっています。性格なども若干の違いもあったのですが、今作で更に違いが発覚しました。

綾波レイと同じく、「シキナミタイプ」と呼称されたNERVによって造られた人造人間であったことが判明。

今作では、第3村で身を寄せていた相田ケンスケとは良好な関係を築いており(彼の前では裸を平然と見せているなど)、シンジが放出したエントリープラグは第3村の相田ケンスケの元に送られました。TV・旧劇場版、新劇場版ともにアスカと相田ケンスケの間にはこれといった関係を示すものが無かっただけに意外と言えば意外でしたね。新劇場版に限って言えば「序」「破」共に会話らしい会話もしてなかったのではなかったでしたっけ?14年の間に何かがあったのでしょうね。

最後の戦いに赴く目前、ヴンダーでアスカとマリはシンジの元に訪れます。この時の会話が色々な鍵になっていたと思います。アスカが怒っていた理由をシンジは、「アスカが3号機に乗っていたとき、僕が何も決めなかったから。助けることも。殺すことも。自分の責任負いたくなかったから」と答えます。これを聞いてなるほどなと納得しました。アスカ以外の人物はシンジがサードインパクトで世界を崩壊させたことについて攻めています。アスカにとっては、Qでのシンジは責任を放棄し、2本の槍で世界を修復して全てをやり直せるとエヴァに乗り、失敗した後はアスカを助けようともせずに自分の殻に閉じ籠ります。しかしながらこれは責任を負いたくなく何もしな事に怒っているのではなく、アスカは助けなかったのに、レイはサードインパクトを起こしてまで助けていたのです。なんで自分の時はそこまでしてくれなかったんだって事なのではないかと思います。

以前はシンジが好きだったという事ですが、この件でアスカの心が冷めてしまったのでしょうね。そんな中で、相田ケンスケが救ってくれたから心惹かれていったのでしょう。

 

エヴァンゲリオンの一つの世界の形でもあるキャラクターデザイン貞本義行さんの漫画では、最終話の新たに作り変えられた世界でシンジがアスカと遭遇する場面で、相田ケンスケも不自然な登場します。思えばこれが伏線になっていたのかも。

碇シンジ(心神喪失を回復した理由)

今回の話の最大のキーパーソンだった碇シンジの復活

前作「Q」で渚カヲルを目の前で亡くし、「フォースインパクト」を起こしてしまった事で、心神喪失ような状態になっていました。カヲルを死に至らしめたDSSチョーカーをみると吐いてしまうなど、その状態は酷いものでした。TV・旧劇場版でも終盤には心神喪失ような状態になりましたが、クライマックスで生き残ったアスカの首を絞めて殺そうとするという最後まで壊れたままでした。今回の作品では心神喪失から復活出来たことが最後にうまくいった二つの理由の一つだと思います。

ですが、第3村でシンジが復活できた理由がいまいち納得できません。

  • みんな親切だから?
  • アヤナミレイ(仮称)が声をかけてくれたから?
  • アスカがコッソリ見守ってくれていたから?

復活した碇シンジは、ヴンダーへの乗船を自ら志願し、あれだけの拒絶反応を見せていたDSSチョーカーをも克服しています。しかも、乗船の直前にアヤナミレイ(仮称)がシンジの目の前でLCLとなって死亡した事すらも何事もなかったかのように乗り越えています。そして父・碇ゲンドウと向き合う強さをも得ています。

カヲル曰く「そうだった、君はイマジナリーの中ではなく、リアリティーの中で既に立ち直っていたんだね」

イマジナリー=架空。リアリティー=現実。

真希波・マリ・イラストリアス(新劇場版のキーキャラクター?)

最後にうまくいった二つの理由の一つが、マリの存在です。

そもそもTV・旧劇場版と新劇場版の最大の違いが真希波・マリ・イラストリアスという新キャラ

けしてメインにならないまでも、色々な支えになっていたり暗躍していたりしていました。

今作では

  • パリ市街戦で防衛
  • ヤマト作戦ではアスカの援護
  • シンジを初号機へ送り届ける
  • 冬月と会話、用意されていたMark.10・11・12を吸収
  • シンジを見つけ出す

新劇場版において最も謎の存在でしたが、まさかの最後にシンジと結ばれるとは思いもしなかったです。何故ならその伏線が全くなかったから。シンジもシンジで良くマリを選んだものだと思います。

さてマリの正体ですが、結局のところ劇中では明かされることはありませんでした。

物語で明かされているのは

  • 碇ゲンドウをを「ゲンドウ君」、冬月を「冬月先生」、ユイを「ユイさん」と呼ぶ
  • 昭和40年代の歌を歌う
  • 冬月によると「イスカリオテのマリア君」
  • 冬月が見る写真に幼いシンジと共に写る大人のマリ

これらを踏まえて推測すると

  • イスカリオテとは、キリストを裏切ったユダの名称。
  • マリは元々、冬月のゼミの生徒だった?
  • 実年齢は、碇ゲンドウやユイと同年齢?

という事が推測されます。マリはゲンドウや冬月を目的のために裏切った人物。しかし外見的には同年齢になっているとはいえ、自分の同級生の子供と結ばれるって改めて考えると違和感あります。だからこそ、正体を最後まで隠したのかもしれませんね。

 

なおマリは「『エヴァ』世界を破壊するためのキャラクター」だそうで、庵野さんではない別の人物のがマリの演出をしていたそうで、意図的に物語の外からやってきたキャラにしていたそうです。

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