関根潤三 秘話が注目されていますね。
元プロ野球選手の関根潤三さんが死去されました。
かつてヤクルトの監督だった当時、入団してきたのは長嶋一茂さん
ドラフト1位指名の裏話が関根潤三さんの秘話とともに明かされました。
関根潤三 秘話!今明かされる長嶋一茂ドラフト1位指名の裏話とは?
長嶋一茂さんがプロ野球・ヤクルトにドラフト1位指名で入団した当時
監督だったのが関根潤三さんでした。
あの長嶋茂雄氏を父に持つ長嶋一茂さんを
関根潤三さんはどのように見ていたのでしょうね?
長嶋一茂1位指名スクープの裏にあった関根潤三さんとの秘話 担当記者が悼む : スポーツ報知 https://t.co/jnSKyrLj4z
関根さんには、ニュースの裏取りでよく「嘘」をつかれた。「監督というのはネ、嘘をつくのも仕事のひとつなんだよ。お前さん、まだ若いね。ホッホッホ」— も⚾ (@nerimamo) April 9, 2020
秋季キャンプで記者と二人でいる時
「神宮球場で見たけど、一茂は違ったよ。いっぱいいる選手の中で“軍旗”を立てていた。『俺が長嶋だ』ってネ。ウチ(ヤクルト)にはそういう選手がいないんだ。欲しいよ」
関根潤三さんは思わず口を滑らせてしまったそうです。
この話を聞いた記者は
長嶋一茂1位指名スクープをとったのだとか。
長嶋一茂さんのドラフトの動画がこちら
#関根潤三 さんが死去
38歳の1965年に近鉄から #巨人 に移籍
巨人では背番号19
同年90試合で199打数48安打 .241 3本塁打20打点で自身初のリーグ優勝と日本一に輝き現役引退
この年は巨人V9初年度
75年に背番号70で巨人に復帰し長嶋監督初年度のヘッドコーチ、76年は二軍監督兼打撃コーチ
03年殿堂入り— スポーツ報知 巨人取材班 (@hochi_giants) April 9, 2020
懐かしいなぁ
一茂入団で長嶋ヤクルト誕生が噂された89年春、上京する新幹線ホームで見かけた新聞の見出しに『ヤクルト長嶋監督』の文字を発見し慌てて購入
バイト先の先輩たちに見送って頂き感動の旅立ち…が済んで発車するやいなやワクワクして開いた一面の反対側には…https://t.co/xAMo2HYLcP— 踵残(きびなご) (@Dafk2944) April 9, 2020
関根潤三 秘話の詳細
詳しい記事はこちら
関根さんには、ニュースの裏取りでよく「嘘」をつかれた。「監督というのはネ、嘘をつくのも仕事のひとつなんだよ。お前さん、まだ若いね。ホッホッホ」。おとぼけがうまく、カッときている記者をたしなめるセリフを何度も聞いた。
【写真】長嶋一茂、ヤクルト時代のミーティングで「ETとかドラえもん…漫画を書いてた」
そんな関根さんが、口が滑りニュースをくれたことがある。1987年秋のヤクルト伊東キャンプ。1対1で世間話をしていると、長嶋一茂の話を振ってきた。言わずと知れた長嶋茂雄さんの長男、幼少期から関根さんとも親交があり当時は立大の4年生。ドラフトで進路が注目されていた。「神宮球場で見たけど、一茂は違ったよ。いっぱいいる選手の中で“軍旗”を立てていた。『俺が長嶋だ』ってネ。ウチ(ヤクルト)にはそういう選手がいないんだ。欲しいよ」。
心臓が張り裂けそうになった。初めて本音を聞いた瞬間だった。「ヤクルト 長嶋1位指名」を他紙に先駆け1面で書いた。ドラフトではその通りにヤクルトが1位指名し、競合の末、相馬社長が黄金の左腕で引き当てた。ドラフト当日、関根さんは案の定「俺、そんなこと言ったっけ」と、とぼけながらもホッホッホッと微笑みを返してくれた。心にしみたあの瞬間は今でも忘れない。(87、88年ヤクルト担当・若菜 泉)
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/
https://t.co/evwmk9eza5
プロ野球の近鉄などで活躍し、大洋(現DeNA)とヤクルトの監督を務めた野球解説者の関根潤三(せきね・じゅんぞう)さんが93歳で亡くなりました。写真は、1987年、ヤクルトの新監督に就任し、選手に話しかける関根潤三さんです。(裕)#関根潤三 pic.twitter.com/tECyGhv8xt— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) April 9, 2020
#野村克也 さんとの解説者時代にブースで撮影された笑顔の2ショットも掲載されています。今年に入って、悲しいことが続きますね…。#ヤクルト#swallows#関根潤三 氏#おくやみ
関根潤三氏死去 二刀流、解説者/秘蔵写真&悼む声 https://t.co/tO0bZy6P4Y @nikkansportsさんから— 保坂恭子 日刊スポーツ (@HOSAKA__nikkan) April 9, 2020
弱かったヤクルトで
池山氏、広澤氏など軸になる選手を育成し、ノムさんにバトンを渡した
影の名将、関根さん優しい笑顔の中に秘めた厳しさ
忘れません!長い間お疲れ様、敬礼!#ヤクルトスワローズ#swallows#関根潤三 pic.twitter.com/5kHoIIl631
— シャア少佐 (@_akai_suisei) April 9, 2020
関根潤三 秘話についてネットの反応
ネットの声を集めてみました
六大学時代の長嶋一茂は立大の他の選手より体格が優っていて大きく見えた。
またサードからファーストへ投げるフォームは長嶋茂雄そのもののように見えた。
確かに花はあったけど、それだけ。上手くはなかった。
一茂の入団で、関根監督の次は長嶋監督になるものと期待していたのを思い出します。実際には、スワローズの野村監督が誕生。長嶋巨人と競い合ってセ・リーグを盛り上げることができたので、万々歳でした。
関根さんは温厚な方と言われていまずが、広島のコーチ時代に夜ベロベロに酔っ払って戻ってきた故衣笠選手に「衣笠、バット素振り1000回忘れているよ」と優しい声でベロベロの衣笠選手に1000回素振りをやらされたと衣笠選手が話していました。
関根さんのヤクルト監督時代からしか知らないけど、今の社会に大事な人を使う技量はずば抜けていたと、後にプロ野球ニュースの解説者でお話されているのを見て感じました。
決して、威圧感を出さずに好きなようにやれ、ダメなら俺が責任とるって言う指導者、上司は一生に一度巡り会えばラッキーです。
いくら血筋とはいえ、高校から本格的に野球を始めて大学でレギュラー、ドラ1でヤクルトに入っていきなりホームランデビューなんてそうは居ませんよ。自分は運良く生で観戦したのですが、負け試合でヒーローインタビューを受けるなんて後にも先にも一茂だけでしょう(笑)
一茂さんの潜在能力は関根さんや落合さんに言わせると
お父さん以上って言っていたよね。
関根さんが一茂さんに対してある意味で後悔ともとれる
事を言っていたのは、お父さんに獲得意思を表明する為
に家を訪問したら、すでに手首が腱鞘炎にかかっている
からプロとしてはどうか?っていうのを大丈夫と言って
獲得したものの、実際キャンプイン後に二日間打撃練習
をさせたら手首が腱鞘炎で痛いという事で大事を取って
打撃以外の練習もスロー調整にさせて結果的に中途半端
な状態のまま監督を辞めた事らしいね。
そういった背景があったとしても落合さんやデーブさん
がいう内角が怖い状況だったから一流の成績を残せたか
どうかはわからないけれどね。
立教高校、立教大学、四番サード長島、主将。
長島茂雄の長男。
それだけで、
巨人か、ヤクルトか、西武は、絶対ドラ1。
採るべきだったね。
そして即、4番サードで出すべきだった。
みんな、それを観たいのよ。
デビュー4打席連続三振を。
プロ野球は興行だからな。
関根さんの解説はよく、ニッポン放送のショーアップナイターで聞いていました。当時、巨人贔屓の解説者が多い中で関根さんの解説は公正中立。今でもよく覚えています。
関根さん、安らかに。
関根潤三 秘話のまとめ
以上、関根潤三 秘話について調べてみました。
ご冥福をお祈りいたします。