定岡正二 最後の1年が注目されていますね。
28歳で引退した元巨人の定岡正二さんの最後の1年が話題になっています。
いったいどのような事があったのでしょうか?
詳しく調べてみたいと思います。
定岡正二 最後の1年の真相がヤバい!28歳で引退した理由は?
かつて甲子園のアイドルと呼ばれていた定岡正二さん
そんな定岡正二さんが28歳という若さでトレード拒否して引退したのは
当時、衝撃な出来事だったようです。
いったい定岡正二さんに何があったのでしょうか?
定岡正二さんの最後の1年について次のように報道されています。
◆ 『男たちの挽歌』第17幕:定岡正二
「サダオカ、初めてか? 洋服着るの?」
天下の長嶋茂雄からなんだかよく分からない質問をされたのは、18歳の定岡正二である。宮崎の大淀川の土手に座って、前年に現役を退いて巨人の監督に就任したばかりのミスターと、まだあどけなさの残るルーキーが対談した。「嬉しいか? 洋服着て?」なんて聞かれて戸惑う定岡は球界を通り越して、当時の日本でトップクラスの人気を誇るスーパーアイドルだった。
鹿児島実業時代の甲子園では、エースとして2試合連続完封。さらに2学年下の原辰徳を擁する東海大相模高を相手に、延長15回で213球を投げ抜く死闘を制し、その甘いマスクで大人気に。アイドル雑誌で郷ひろみや西城秀樹らと並んで掲載される規格外の野球選手。1974年(昭和49年)秋、V9が終わり38歳の長嶋茂雄が指揮を執る巨人からドラフト1位指名されたことにより、サダ坊人気はピークを迎えることになる。
多摩川グラウンドの練習にはなんと2万人のファンが集まり、“多摩川ギャル”たちが背番号20の一挙手一投足に注目する。二軍戦にも平日のデーゲームにもかかわらず異例の1万5000人の観客がつめかけた。
しかし、鹿児島から出てきた18歳には酷な環境だった。チームバスに乗るのにも定岡の周りにはファンが殺到してなかなか進めず、結果的に車内の先輩たちを待たせることになる。一緒に外出すれば自分が騒がれて迷惑をかけてしまう。
唯一の息抜きは、都心から離れた、よみうりランド近くのジャイアンツ寮周辺の中華料理屋でささやかな食事をすること。いつの時代も国民的アイドルは孤独なのである。
長嶋茂雄さんらしい質問ですね。
確かに何だかよく分からない質問ですが、
長嶋茂雄さんから問われたら「はい」としか言えないでしょうね。
トレード拒否して28歳で引退した元甲子園のアイドル【最後の1年、定岡正二編】https://t.co/OmwfS4lwNl
今なら野球を続けられるだけで幸せなのに。
長島なら説得できたろう。— かやのなか (@okayamaeichan) April 30, 2020
定岡正二 遅咲きの右腕に訪れた唐突な最後
さて甲子園のアイドルとして巨人に入団した定岡正二さんでしたが、
そのプロ生活は順風満帆ではなかったようです。
しかし、イースタンでは好投しても一軍ではなかなかチャンスを掴めない。1つ年上の怪物・江川卓が入団してすぐローテの中心に定着したのとは対照的に、プロ5年目まで未勝利。その秋に行われた伝説の伊東キャンプにも腰痛で不参加という間の悪さはマスコミの恰好のネタになったが、崖っぷちの6年目にようやくプロ初勝利を記録した。
第一次長嶋政権ラストイヤーの80年シーズンに9勝を挙げ(防御率2.54はリーグ3位)ローテに定着すると、翌81年は阪神戦で初回先頭打者に二塁打を許しただけの準完全試合となる1安打完封勝利も達成し、初の二ケタ到達の11勝でチーム8年ぶりの日本一に貢献する。
実力が人気に追いついたと評された翌82年は15勝6敗、防御率3.29。10完投3完封とキャリアハイの成績を残した。
持ち球は直球、カーブ、決め球のスライダーというオーソドックスな右腕は広島戦に滅法強く、81年は11勝中6勝、82年は15勝中7勝を稼ぐカープキラーとして知られたが、83年以降は腰痛や慢性の右肘痛を抱え、徐々に先発兼ロングリリーフの便利屋的な立ち位置へ。元甲子園のアイドルも20代後半を迎え、やがて現実の中で生きる術を見つけていく。そして、唐突に28歳のシーズンに「最後の1年」を迎えるわけだ。
猛虎打線の阪神が球団創設以来初の日本一に輝いた1985年(昭和60年)。王巨人は吉村禎章があのバースと最高出塁率のタイトルを争い、投手陣は20歳の斎藤雅樹が12勝、ルーキー宮本和知が38試合に登板と、ヤングジャイアンツの台頭もあり、チームは夏場まで優勝争いを繰り広げるも9月以降は急失速して3位に。
定岡はすべてリリーフで47試合に登板。鹿取義隆、角盈男、サンチェらとともにブルペンの一角を担い、74.1回を投げて4勝3敗2セーブ、防御率3.87。3年前は15勝を挙げている定岡にしては物足りない成績だが、まだ28歳だ。老け込む年ではない。
10月24日のシーズン最終戦の阪神戦では、8回にマウンドへ上がると一死一塁の場面で併殺打に打ち取りピンチを凌いでみせた。プロ11年目を無難に終えたわけだが、結果的にこれが定岡の現役最終登板となった。
次ページでは、いよいよ定岡正二さんの引退した真相が明かされます。