小川直也 地獄の銀 真実とは?敗北の地獄がヤバすぎる!

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「暴走王」小川直也の誕生

柔道を引退した小川直也さんは柔道界を去り

選んだ道はプロレスラー

プロレスを選んだきっかけとはなんだったのでしょうか?

五輪での敗北が人生の振り幅を広げた

――アトランタ五輪から帰国後、現役引退を表明されましたね。その後、プロレス、総合格闘技のリングに上がることになります。

「プロレスはまったく頭になかったですね。アトランタが終わって『柔道をやめようかな。仕事に専念しようかな。でも柔道やりたいのになあ』と悩んでいた時に、(アントニオ)猪木さんから誘われました。その時に聞いたんですけど、猪木さんは1988年の時点で目をつけてくれていたようです。当時大学3年生で、この年の12月にグルジア(現ジョージア)のトビリシで開かれた世界学生選手権に出場したんですが、その会場で猪木さんから激励を受けました。その頃、新日本プロレスの副社長だった坂口征二さんに、猪木さんが『小川に声をかけられないか』と話したそうです。坂口さんは明治大学柔道部の先輩。『五輪がありますから、それはちょっと待ってください!』となったみたいで」

――プロレス転向を決めたのは引退会見の前ですか。

「そうです。猪木さんから話をもらって、また明治大学柔道部の監督をやることも決まっていましたし、いろいろと考えていました。そんな時にカミさんに言われたんですよ。『人生は一度しかないから。40歳になった時に、やっぱりプロに行っておけばよかったなって悔いを残さないで』って。ちょうど雄勢(長男)が生まれた直後で、本来なら『そんな危ない、安定しない道を選ばないで』って言われそうなものですが、ぼくの性格を知っているからでしょうね。『悔いを残さないで』って。その言葉は大きかったですよ」

――五輪に2回出られて金メダルは獲得できませんでしたが、そこから得たものもあったわけですね。

「バルセロナで勝っていたらプロの道には進みませんでした。ずっと柔道界にいたと思います。名誉を得ると、それが大事になりますから新たな挑戦ができなくなっていたでしょう。でも、五輪で負けたことで人生の振り幅が広がりました。明日どうなるかわからない世界に飛び込むことができたんです。いろいろな経験をしながら、常に前を向いて歩くことで、新たな自分を見つけることもできました」

――2018年にプロのリングを下りてから、1年以上経ちました。いまは柔道界に復帰しているんですね。

「子ども(長男の雄勢)が、柔道をやりたいと言わなければ、絶対に戻らなかったですね。この小川道場もないです。どうせやるなら、中途半端な柔道を教えるよりは、ぼくの理想とすることを教えたかったので、住んでいた普通の一軒家を潰して、道場に建て替えました」

――最後に、小川さんにとってのオリンピックとは。

「今回、(延期前の)東京五輪を目指していた雄勢が代表に選ばれなかったのは、かなりショックでした。ぼくは出るのが当たり前だったので、子どもを通して、出られないさびしさ、悔しさを体験させられました。ですが、雄勢には、オリンピックにまたトライしてほしい。そういう意味では、ぼくはいまでもオリンピックと常に対峙しているのかなと思います」

 

小川直也さんと言えば、やっぱり橋本真也さんとの一騎打ちですよね。

 

 

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小川直也 地獄の銀 真実についてネットの反応

ネットの声を集めてみました

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小川直也 地獄の銀 真実のまとめ

以上、小川直也 地獄の銀 真実について調べてみました。

 

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