小川直也 地獄の銀 真実が注目されていますね。
小川直也さんがバルセロナ五輪で金メダル確実と期待されていた結果は地獄の銀
今、その真実を語り話題になっています。
地獄の銀とはどうい事なのでしょうか?
詳しく調べてみたいと思います。
小川直也 地獄の銀 真実とは?敗北の地獄がヤバすぎる!
今ではプロレス、総合格闘技のイメージが強い「暴走王」小川直也さん
元々は華々しい結果を持つ柔道家でした。
しかし、世界選手権優勝4回、全日本選手権優勝7回というなかで
五輪の金メダルだけはありません。
金メダル確実と言われたバルセロナ五輪ではまさかの敗北
銀メダルと言う結果でした。
小川直也さんはその銀メダルを地獄の銀と表現します。
地獄の銀の真実とはどういうことなのでしょうか?
まずは「小川直也 地獄の銀 真実」について報道された記事を見てみましょう
「完敗です。すいません」
プロレス、総合格闘技のリングで活躍し人気を博した「暴走王」小川直也。1992年のバルセロナ五輪に日本柔道の重量級エースとして「金確実」の期待を背負って出場したが、決勝の後に残したのはその言葉と銀メダルだけだった。最後と決めた4年後のアトランタ五輪は5位。世界選手権優勝4回、全日本選手権は5連覇を含む優勝7回と輝かしい実績を残した一方、五輪の金メダルがないまま柔道界を去った。その小川がいま、指導者として柔道界に復帰している。彼にとって五輪とは何だったのか、なぜ柔道界を一度去ったのか、いま五輪に何を想う――。「地獄の銀メダル」から28年、小川が静かに語り始めた。
小川直也さんの柔道家時代の動画
小川直也 地獄の銀 真実を語るインタビュー
それでは小川直也さんが語る地獄の銀についての
インタビューを見てみましょう。
なぜ負けたのか。いまでも理由がわからない
――1992年当時、小川さんは日本重量級の絶対的エースでした。五輪の重圧は感じていましたか。
「戦争に行くみたいで『負けたら帰りの切符はないぞ!』という雰囲気でした。でも、それほど気負っていたわけでもなかった。普通にやっていれば勝てると思っていましたから。『勝ってやろう』ではなく、自ずと結果はついてくるという感じでした」
――金メダル確実と期待されたバルセロナ五輪は、準決勝で強敵ダビド・ドゥイエ(フランス)を破り危なげなく決勝に勝ち上がりましたね。しかし、決勝でダビド・ハハレイシビリ(グルジア=当時)にまさかの一本負けを喫しました。
「いまでも、わからないんです。何であの時だけ、負けたのか。試合が終わって、ぼう然としました。対戦したハハレイシビリは決して苦手な相手ではなかった。翌年の世界選手権でも投げて勝っている相手なので。負けてしまったものは『しょうがない』と思うしかなかったですね」
――記者会見のときの心境を振り返っていただけますか。
「しゃべることで自分が惨めになるのも嫌だったんですよ。だから『完敗です』とだけ言って席を立ちました。『敗軍の将は兵を語らず』という言葉が好きだったので……。でも、賛否両論でしたよね。いまと違って『金メダルを獲って当たり前』と思われていた時代でしたから、期待を裏切ったとマスコミから叩かれました」
――柔道の最重量級で日本が金メダルを逃したのは、1972年のミュンヘン五輪以来、実に20年ぶりのこと(不参加の1980年モスクワ大会は除く)でした。そんなこともあって当時の報道は、かなり辛辣でした。斉藤仁さん(当時全日本コーチ)も「世界2位だが、われわれには地獄」とコメントしていました。
「失敗した者に対しては厳しかった。でも、自分の中では納得できないこともありました。それは、柔道はプロではなかったのに、五輪になるとプロのような感覚で扱われていたことです。柔道はアマチュアで、プロ野球などのプロスポーツとは違うじゃないですか。プロ選手ならば、それでメシを食って生計を立てています。だから負けた時には、ファンから非難の声を浴びても仕方がないと思うんですよ。ぼくは当時、JRA(日本中央競馬会)でサラリーマンをやりながらアマチュアとして柔道をやっていたんです。負けたとはいえ、そこまで非難されるほど悪いことをしたのかなぁ、と。『それは違うだろ』という気持ちはありました」
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/
正直、銀メダル=世界2位でも凄いことだとは思うのですが
やはり、当時の柔道は日本のお家芸
勝って当たり前という厳しい状況だったのでしょうね。
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小川直也さんがまさかの敗北から次のアトランタ五輪に挑んだ
心境を語ってくれています。