定岡正二 最後の1年の真相がヤバい!28歳で引退した理由は?

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定岡正二 最後の1年 近鉄のエースになれ!?

定岡正二さんの引退した理由

トレードを拒否した真相が明かされます。

◆ 近鉄のエースになれ!?

翌25日に「飯でも食おう」と球団関係者から呼び出され、「近鉄バファローズのエースになれ」とトレード通告を受ける(相手は有田修三捕手)。しかし、定岡はこれを拒否。11月2日には球団代表に巨人を辞めることを告げ、なんとそのまま28歳の若さで引退してしまう。この一連の騒動は当時大きなニュースとなり『週刊ベースボール』といった野球専門誌だけではなく、『週刊ポスト』や『週刊明星』でも定岡特集が組まれたほどだった。

巨人が篠塚利夫(現・和典)と近鉄・大石大二郎のトレードを申し込むも断られ、仕切り直しの当初は定岡と有田を軸にした3対3の複数トレード予定だったという。

そこから二転三転し、10月25日にまず岩本渉外補佐、渡辺管理部長と話し合い、最後に長谷川球団代表と会談したが、これが最初に長谷川代表からトレード話をされていたら、受けていたかもしれない……と寂しそうに笑ってみせる定岡の週べ掲載談話も生々しい。

トレードを拒否しても巨人残留ができると思っていたが、その後の話し合いで自分が来季の戦力構想には入っていないことを告げられ、近鉄へ行くか辞めるかの選択を迫られたという。そこには説得を試みたが予想外に難航してしまった球団側の焦りも見てとれる。

◆ サダオカの功績と魅力

そんな中、『週刊明星』では「勝ち星こそ通算51勝の中堅投手だったかもしれないが、後楽園のライトスタンドにギャルをあふれさせたのがこの定岡だ」と独占インタビューを掲載。1億5000万円かけて新居を建設中という話題に触れ、「フーッ、ため息が出ますね(笑)。ジャン、ジャン!だね。見事し・っ・ぱ・い」なんつって唐突に昭和のアイドル路線の緊張感のない発言をかますサダ坊。

「しかしこれ(引退)で、結婚は当分遠のいたでしょう。生活も不安定になったし。それに第一、結婚の話があったら、引退しないで近鉄に行ってますよ」

そして、「巨人とは何だったか」を聞かれて、「ボクにとっては、青春そのものだった」と、やっぱり所属グループを卒業するアイドルのような野球人生の振り返り方をするわけだ。ほかの選手ならもっとシリアスな湿っぽい雰囲気になっていたかもしれないが、後年『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の“へなちょこサダ”でお茶の間の人気者となった、定岡正二が元来持つ軽く明るいキャラも手伝い、不思議と悲壮感はない。

引退から2年後に発売された著書『OH!ジャイアンツ』(CBSソニー出版)によると、定岡は85年に右肘痛に悩まされ、野球を続けようか辞めようか悩んでいたという。そのタイミングでトレードを言い渡された。これも運命だ。「もう知らない球団に行ってイチからやりなおすだけの気力も、体力もなかった」と書き記している。

世間を賑わせた電撃引退から約3週間後、定岡は29歳の誕生日を迎え、巨人は同年のドラフト会議でPL学園の桑田真澄を1位指名するわけだ。なお、定岡の移籍話と同時期に「ドラフトで清原が獲れたら一塁手の中畑をトレードへ」ネタが紙面を賑わせていたのも今となっては興味深い。

そんな若くしてユニフォームを脱いだ元甲子園のアイドルとは対照的な野球人生を送った、同期入団のドラフト外投手がいた。巨人からトレードで出されるも、移籍先で劇的な復活を遂げた西本聖である。

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定岡正二 最後の1年についてネットの反応

ネットの声を集めてみました

定岡のトレード拒否からの引退は有名だけど、その前に篠塚と大石のトレード話があったのは知らなかった、実現していたらどうなっていたんだろう?

 

生ダラで負け犬サダ へなちょこサダと弄られた人ってしか印象ないけど昔は甲子園のアイドルで凄い投手だと知った時は驚いた TBSで解説やったりと野球関係の仕事もそれなりにあった 最近じゃリアル野球盤にも出てた姿を見た時は安心した まだまだ頑張って欲しい

 

個人的にこの頃は
淡口が近鉄に行ったのが寂しかったな。

定岡はスピードは左程でもないのだが
バネみたいな体幹で
投げ終わった後の軸足が真上を向いている
フォームが凄く格好良かった。

ドラ1でも中々芽が出ず途中忘れていたけど
江川、西本、定岡の三本柱は短かったが
良い活躍したものな。

記録より記憶に残る選手であった
その後のテレビの活躍も嬉しいものだった。

 

当時は先発完投が当たり前だったから83年以降の評価は低いが、今なら評価が違ってきた投手。
6回3失点であれば十分に出来たと思う。

 

結局、定岡はタレントとして負け犬サダとして名をはせ、定岡の代わりに同じく巨人一筋だった淡口(+山岡勝)が近鉄に行ったわけだね。
とはいえ、淡口は近鉄でも活躍したし、有田も巨人で山倉の2番手捕手で活躍したからいいトレードではあったよね。

 

速球派ではなかったけど微妙に変化するボールを散らして芯で捉えさせない投球でいいピッチャーだった。
記憶に残るのが阪神戦で先頭打者の真弓に打たれたヒット1本のみの完封勝利は圧巻だった。

 

洋服の話ですがミスターはおそらくフレッシャーズスーツのことを言いたかったのでしょうね。いかにもミスターらしいです。定岡さんは浅野ゆう子だとか鳥越マリさんだとかと噂がありましたが結局還暦すぎても結婚されずじまいです。若いころはかなりモテたと思いますが同じく独身のサッカーの武田修宏さんとそのような点などすごく似ています。とんねるずのタカさんのリアル野球盤に出演しますが野球やっているときは童心に返ってどこかいきいきしています。

 

巨人から近鉄の流れで言うと香田投手もいますね。キャリア晩年はリリーフとして活躍されました。リリーフ転向後は球速も速くなりましたよね。決して派手な選手ではなかったけど、ここ一番では仕事をする投手というイメージで、佐世保工業時代から好きな投手でした。

 

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定岡正二 最後の1年のまとめ

以上、定岡正二 最後の1年について調べてみました。

 

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