志村けん・愛弟子 初告白が泣ける!乾き亭げそ太郎が語る師匠とは?

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志村けん・愛弟子 初告白のエピソード

乾き亭げそ太郎が語る師匠・志村けんさんとのエピソードです。

慣れないリムジンで恐る恐る運転したら……

 弟子の主な仕事は運転手。志村の自宅近くに家賃4万円のアパートを借り、1000万円以上する高級外国車リムジンで志村宅を訪れ、仕事場から自宅まで送迎するのが日課だった。車中での志村はビートルズや吉幾三、吉田拓郎の曲を好んで聴いていたという。

「田舎から出てきて急に高級車なんて初めてですし、左ハンドルも経験がありませんでしたので、もう怖くて仕方なかったですね。恐る恐る運転して、心配になって後部座席に乗る志村さんをバックミラーで見たら、信号待ちで車が止まる度に通行人にお辞儀をしているんです。そんなことが何日か続き、僕が『志村さんは凄いですね。信号待ちする度に通行人に頭を下げているので、びっくりしました』と話したら、『違うよ! お前がブレーキをいつも強く踏むから頭が前に倒れるんだよ』と、笑いながらツッコまれました」

やってしまった「リムジン擦り傷事件」

 弟子の休日は自宅でポケベルを握りしめての自宅待機。志村が休みの日でも、飲みに出かけるときの送迎は弟子の仕事だった。リムジンを運転してから3カ月経った夜、げそ太郎氏は師匠を送った後、車に擦りキズを付けてしまった。

「志村さんの乗り降りするドアの辺りに大きなキズを付けてしまい、顔面蒼白になりました。その日は志村さんがお気に入りの女性とのお食事で、悩みましたが、正直に言うなら今日しかないと思い、飲んで機嫌よく女性と戻って来たときに『志村さん、すみません。擦ってしまいました』と謝ったら『おお、まあ仕方ねえなあ』の一言だけでなんとか怒られずにすみました。

運転手の仕事で一番大変だったのは、飲んでいるときの待ち時間です。ある日、志村さんを夕方くらいに飲み会の場に送ったのですが、10時間経っても出て来ない。“志村さん、もうタクシーで帰っちゃったのかな”と不安になっていると、車に戻って来たのが17時間後の翌朝10時というのが最高記録でした。どうやら酔って途中で寝てしまったそうです」

寿司にスッポン、フカヒレ……

当時の月給は12万円。それでもげそ太郎氏は、志村に対して「感謝」の気持ちしかなかったと語る。

「365日、ずっと志村さんと一緒だったので、家賃以外にお金を使うことがありませんでした。志村さんが飲みに行ったり、誰かとご飯を食べるときは、必ず『これで何か食べろ』と1万円を手渡してくれました。僕も弟子という身分でお金を稼ごうとは思ってもいなかったので、毎回ご飯代もいただいて、申し訳ない気持ちでしたね。今でも感謝しているのは、初めて食べるあらゆる高級な料理はすべて志村さんに連れていってもらった。スッポンにカウンターのお寿司、フカヒレなど数え始めたらきりがありません」

 

 

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志村けんに一喝された理由とは?

乾き亭げそ太郎が師匠・志村けんさんに一喝された事があるのだといいます。

その理由とはなんだったのでしょうか?

皆に笑いを届ける国民的コメディアン・志村。一方で、弟子に見せる“師匠の顔”は厳しかった。

「現場で志村さんから目を離したときはよく叱られました。志村さんがタバコを吸いたいときに用意が遅れたり、汗をかいたときにタオルの準備ができていないと、『オレが今、何を思って、何を考えているか読めよ。芸人は目の前の1人の気持ちを分からなくて、テレビの向こう側にいる何百万、何千万人の視聴者の気持ちがわかるわけないだろう』と注意されました。

また、志村さんがもっとも嫌うのが遅刻です。ある日、僕が一度だけ大幅に遅刻してしまったことがありました。収録終わりの深夜3時のファミレスで志村さんに『お前、ナメてんのか! オレは1日がマイナスからのスタートになるから遅刻は嫌なんだ。“すみません”のマイナスからのスタートになることを何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか』と、朝の7時まで説教を受け、本当に申し訳ないと思いました」
弟子になって3年、弟子を辞める決意を告げると……

弟子になって3年。四六時中、志村を支え続け、ネタを考える時間が欲しいと考えたげそ太郎氏は弟子を辞めることを決意。志村にそのことを告げると、一喝された。

「『弟子を辞めさせてください』とお話ししたときに志村さんに怒られたんです。『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』と言われました」

志村は一度、ドリフターズの付き人を辞めて、バーテンダーなどをした過去があった。1年半後に付き人に復帰し、お笑いコンビ「マックボンボン」での活動を経て、ドリフターズの一員となった。げそ太郎氏は、それを機に毎週ある志村の番組会議にネタを出すようになった。

「僕の出すネタは当然、会議では箸にも棒にも掛からないんですけど、ある時、家族コントが1本通ったんです。それから2本、3本と少しネタが通ると、志村さんから『メシ食いにいくか?』と声を掛けてもらって、『お前はやればできるんだから、芸人としてがんばれよ』と照れ屋の志村さんが初めて褒めてくれました。97年に、ディレクターさんが志村さんに『こいつがんばっているので、バカ殿の家来にも使ってみませんか』と助言してくれて、『バカ殿様』への出演が決まり、志村さんと念願の共演ができました。心の底からうれしかったですね」

 

 

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